労使間の関係が円満であれば就業規則は必要ないのか?春秋左氏伝を読んでみる
2021/09/14
一つの事業所で社員数が10人以上となる場合は、就業規則を作成するよう労働基準法で定められています。
【労働基準法】
(作成及び届出の義務)
第八十九条 常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
社員数が10人未満であっても就業規則を作成することを勧めています。
その理由はいくつかありますが、一つ挙げると問題を起こした社員を懲戒するにはあらかじめ就業規則に懲戒の種別と事由を記載しなければならないからです。
しばしば就業規則は不要であると考えている経営者に会うことがあります。
そうした方は次のような理由から就業規則は不要であると考えているようです。
・今までに労使間の争いが起きたことがいない
・うちの会社に労使間のトラブルが起こるはずがない
・社員にも就業規則について聞かれたことがない
・行政から就業規則を作成するよう求められたことがない
目次
春秋左氏伝の法律に関するエピソードを読んでみる
春秋左氏伝に法律に関するおもしろいエピソードが載っています。
鄭の国で刑法を鋳込んだ鐘を作りました。
晋の政治家である叔向はそれを非難する書簡を鄭の政治家である子産に送りました。
法律ができたことを知れば、民はお上を敬わなくなるでしょう。
誰もが争い心を抱いて、条文を根拠にして、抜け道でうまくやろうと考え、治めきれなくなるでしょう。
~略~
争う根拠を民が知るようになれば、礼などかなぐり棄てて条文を引き、一字一句の末まで争い合うでしょう。
小倉 芳彦 (翻訳) 岩波文庫 『春秋左氏伝〈下〉』
書簡の中で叔向は徳があれば法は無用だとも述べています。
私たちは英雄でも聖人でもない
叔向は書簡の中で徳による政治の例として周の文王の政治を挙げています。
周の文王には次のようなエピソードがあります。
むかし虞の国と芮の国の間に争い起こり、二国の君主は周の文王に裁決してもらおうと周の国へ行きました。
周では田を耕す者も、道を行く者も皆が譲り合っていました。
その様子を見た二国の君主は反省し、争いを止めたそうです。
周の文王のような聖人であれば、徳による政治を行うことができるかもしれません。
しかし私たちのほとんどは聖人でも英雄でありません。
ただの凡人です。
聖人でも英雄でもない私たちが平和に生活するには法律や規則の力を借りる必要があります。
明確に、オープンに、曖昧さを減らすことで労使間のトラブルを防ぐ
労務トラブルの多くは誤解やコミュニケーション不足に起因すると考えています。
・もらえると思っていた手当がもらえなかった
・休日だと思っていた日が出勤日だった
・こちらが期待した能力を持っていなかった
会社側と社員の側の誤解が大きくなると争いに発展します。
こうした誤解は就業規則や雇用契約書によって労働条件を明確にすることによって減らすことができます。
もちろん労働条件の全てを明らかにすることは無理でしょう。
必ずあいまいな部分が出てきます。
あいまいな部分が出てきた場合には放置せず、検討して会社の考えを社員に伝えます。
こうした誠実な態度は”徳”を積むことにも繋がるのではないでしょうか。
法と"徳"は必ずしも対立するわけではないのです。
法に対して無防備であることは大きなリスクを抱え込むことになる
私たちは日本で生活しています。
日本で生活している以上、日本の法律を無視することはできません。
仮に叔向が言うような”徳”による経営を行っていてもです。
労働基準監督官の立ち入り調査などで就業規則の提示を求められたときに「わが社は創業以来、社員を家族のように慈しみ、労使間のトラブルが起こったことは一度もありません。なので規則など必要ないのです」と言っても、きっちり是正報告書または指導票を交付され、就業規則の作成と労働基準監督署への届出を求められます。
私たちは法による政治を行う社会に生きています。
法治国家において法に対して無防備であることは、大きなリスクを抱え込むことになります。
労使間のトラブルが起きれば、叔向の言うように法律の条文を根拠に手厳しく不備を追及されることもあるでしょう。
子産は叔向のアドバイスを聞き入らなかった
さきほどの春秋左氏伝のエピソードの続きですが、子産は叔向のアドバイスを聞き入れませんでした。
叔向の書簡に対する子産の返事を見てみましょう。
吾子(あなた)のお言葉に従おうにも、僑(わたくし)はふつつか者。
子孫のことまで考え及べません。
吾(わたし)はこれで当世の手当をします。
お言葉は受けかねますが、ご厚意は忘れません。
小倉 芳彦 (翻訳) 岩波文庫 『春秋左氏伝〈下〉』
この言葉には「余計なお世話だ」という子産の気持ちが込められているような気がして、おもしろみを感じます。