ハラスメント

パワハラ・セクハラ対応 「信頼」「愛情」という言葉を過信すべきではない

2020/05/31

こんにちは。

神奈川県鎌倉市の特定社会保険労務士・北村です。

先日、安倍総理とトランプ大統領の会談が行われました。

トランプ大統領は米朝首脳会談で拉致問題を提起すると明言しました。

拉致被害者が一刻も早く家族の元へ帰れることを願います。

国会議員や各省庁も拉致被害者が両親や家族のもとで暮らせるように最大の努力をしてほしいと思っています。

会話は録音されていると思ったほうがいい

現在のところ、多くのメディアでは日米首脳会談よりも財務省事務次官によるセクハラ疑惑が大きく報道されています。

今回のセクハラ事件について真相はまだ明らかになってはいませんが、いずれにせよセクハラ・パワハラと疑われるような行為は避けるべきです。

顧問先の企業には「従業員や取引先などの関係者との会話は録音されていると思ったほうがいい」と伝えています。

今回の財務省の事件でも会話が録音されていました。

実際に会話が行われたのは勤務時間外の可能性もあるようです。

勤務外の時間、たとえば打ち上げや懇親会のような場でも、従業員や取引先などの関係者と会話をするときは適切な言葉を選ぶように気を付けるべきです。

「セクハラ」「パワハラ」「暴力」疑惑をかけられないための努力

知り合いに中学校の教師がいるのですが、「セクハラをした」「パワハラをした」「暴力を振るった」と疑われないように次のようなことを心掛けているそうです。

①生徒と二人きりにならない

⇒二人きりになると無実を証明してくれる第三者を探すのが難しくなる。

②授業以外の時間は教室のドアを空けておく

⇒ドアを閉めてしまうと密室になってしまうと無実を証明してくれる第三者を探すのが難しくなる。

③手は常に体の後ろで組んでおく

⇒手が体の前面に出ていると「セクハラをした」「暴力を振るった」かのように見えてしまうこともある。

①と②についてはルールとして採用している企業もあるかと思います。

③の「手は常に体の後ろで組んでおく」については、すこし行き過ぎているのではないかと私は思います。

「万が一、生徒に暴力を振るわれたら、どうするのか?」と聞いてみたところ、「"止めなさい"と口で注意します。あとは他の教師が止めに入るまで耐えることになります」と知人は答えました。

学校によって異なるのでしょうが、私には学校の教師なんて絶対にできないなと思いました・・・。

信頼関係があればパワハラ・セクハラではない⇐その信頼関係に100%の自信はある?

「信頼関係があればでパワハラではない」という言葉をよく耳にします。

私は信頼や愛情などを過信すべきではないというスタンスです。

第一に、信頼や愛情を感じたどうかを判断するのは相手です。

愛情を込めた指導だと自分は思っていても、相手は大きなストレスを感じているかもしれません。

第二に、人の気持ちは変わります。

なにかの拍子に信頼が不信に、愛情が憎しみに変わることはあります。

人の気持ちが変われば、以前と同じ接し方をしたとしても「パワハラ」「セクハラ」と受け取られることもあるでしょう。

こういうことを書くと「大げさ」と言われることがありますが、経営者やリーダーになろうと志す人はシビアに人間関係を考えるべきだと私は思います。

明るい職場応援団を参考にしよう

以前にも紹介しましたが、厚生労働省のサイト「明るい職場応援団」では動画でパワハラになるケース、ならないケースを説明しています。

このサイトは参考になると思うので、経営者やリーダーは一度は見ることをお勧めします。

明るい職場応援団 動画で学ぶパワハラ

動画:このようなケースは、パワハラになる? ならない? - 日頃の信頼関係が大切

厚生労働省HP

ただ動画の中でパワハラにならないとされるケースでも、パワハラと感じる人もいるのではないかと私は思います。

何をパワハラ・セクハラと感じるかは人それぞれです。

実務を行う上では、実際の状況を考慮して慎重に対応するようにしましょう。

有徳者でないのなら、厳格な政治を行ったほうがいい

春秋左氏伝によると、鄭の国の名宰相・子産は次のように述べたとされています。

「我(自分)が死ねば、子(あなた)は必ず執政の座に就く。有徳者なればこそ寛大な政治で民を服従させられるので、次善の場合は厳格なほうがよい。火は激しいから、民は遠くから眺めて恐れ、従って焼け死ぬ者も少ない。ところが水は柔弱だから、民は軽んじて弄(もてあそ)び、そこで水死者が多く出る。だから寛大な政治は難しいのだ」

小倉 芳彦 (翻訳) 岩波文庫 『春秋左氏伝〈下〉』

信頼や愛情といった徳にもとづいた政治ができるのは類まれな有徳者だけです。

そうでないならば、ルールにもとづいた厳格な政治を行ったほうがいいと子産は述べていると私は受け取りました。

私たちの多くは有徳者ではありません。ただの凡人です。

凡人である私たちが平和に生活するには、時と場合によっては厳格な政治が必要になることもあるのだと思います。

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