随筆・プライベート

氷河期世代よ、神輿を射よ!!

2020/06/01

こんにちは。

神奈川県鎌倉市の特定社会保険労務士・北村です。

最近、氷河期世代についての報道を多く目にします。

僕も実は氷河期世代の一員なので、思っていることをブログに書きたいと思います。

目次

氷河期世代・ロストジェネレーション・キレる17歳

政府の経済財政諮問会議では氷河期世代を「人生再設計第一世代」とし、集中的に支援することを打ち出しました。(人生再設計!?なんじゃそりゃ?)

僕は2004年に大学を卒業したので、氷河期世代とかロストジェネレーションとか言われる世代に当たります。

さらに言えば1982年生まれでもあり、この世代はかつて「キレる17歳」と呼ばれたりもしました。

圧迫面接

経済財政諮問会議では氷河期世代のことを次のように表現しています。

新卒時にバブル崩壊や不良債権問題が生じていた、いわゆる就職氷河期世代は、学卒未就職が多く出現した世代(人口規模で約 1700 万人)である。本来であれば、この世代も、景気回復後には、適切な就職機会が得られてしかるべきである。しかし、当時の労働市場環境の下ではそれは難しく、その後も、無業状況や短時間労働など不安定就労状態を続けている人々が多く存在し、現在、30 代半ばから 40 代半ばに至っている。

平成31年第5回経済財政諮問会議 資料2-1(抜粋)

氷河期世代は、在学中の就職活動がうまくいかず、その後も安定した職業に就けていないとしています。

自分が大学生のころを振り返ってみると、就職活動は大変厳しいという認識が多くの学生にありました。

新卒でなければ企業に採用されにくいので、内定を獲得できない学生の中にはわざと留年する学生もいました。

また企業が応募者に対して高圧的な態度で臨む圧迫面接が流行っていたように思います。

中には学生の人格を否定するような言葉を投げつける面接官もいて、心を病んでしまう学生もいました。

圧迫面接が企業の採用選考の手段として効果的なのか、僕にはよく分かりません。

圧迫面接を行う企業と話をする機会があれば、どのような人間を採用したくて圧迫面接を行うのか、圧迫面接を行う面接官に対してどのような指導をしているのか、圧迫面接に対してどのような対応をすれば採用となるのか、圧迫面接により採用した人間は企業にとって優秀だったのか、いろいろと聞いてみたいと思っています。

団塊、しらけ、ゆとり、ミレニアル・・・

「団塊世代、しらけ世代、氷河期世代、ゆとり世代、ミレニアル・・・」といったように、特定の世代に名前を付けて、「この世代の特徴は〇〇である」と論じることは、今までに何度も行われています。

自分が属するとされる氷河期世代にどんな特徴があるのかと問われると、なかなか答えが見つかりません。

一口に氷河期世代と言っても、苦労した人、苦労していない人、苦労を苦労とも思わない人、いろいろな人がいます。

自分に関して言えば・・・

自分に関して言えば、就職氷河期と言っても、ここまで健康に飢えることもなく、そして戦争や災害など、個人の力ではどうしようもない暴力に巻き込まれずに生きてこれたので、非常に幸運だったと思っています。

収入は少ないですが、生活するのに困窮するほどではありません。

それなりに大変なこともありましたが、全体としてはひどい時代を生きているとは思いません。

ただし、これはあくまで僕が僕の人生について感じていることです。

氷河期世代の中には大変に苦労している人も確かにいます。

負け犬根性・奴隷根性

他人については分かりませんが、自分の性格・性質の面について言うと、かつての僕には負け犬根性・奴隷根性が染みついていたと思います。

これは僕の人生に大きな影を落としています。

僕の言う負け犬根性・奴隷根性とは「立場が上の人間の指示には、それが理不尽なものであっても従う」「相手の希望に沿えないことを恐れる」という性質のことを言います。

言い方を変えれば「いい人」「いい生徒」「いい部下」であろうとすることです。

 

立場が上の人間に従うといっても、心の中ではストレスを感じます。

このストレスが一定のラインを超えるか、または何かのきっかけで相手の立場が自分より下だと認識するようになると、溜まっていたストレスが怒りへと変わります。

上の人間への忠誠心が怒りに変わるので、最終的には「いい人」「いい生徒」「いい部下」ではありません。

・・・キレる17歳というのもあながち間違っていないですね。

秋葉原通り魔事件

2008年6月に秋葉原で通り魔事件が起きました。

犯人は僕と同い年、1982年生まれです。

事件が発生する数日前に僕も秋葉原にいました。

その事件の報道を最初に目にしたとき、犯人の彼にも自分と同じような怒りがあったのかなと思ったことが今でも鮮明に記憶に残っています。

一度身についた性質を変えるのは難しい

負け犬根性・奴隷根性がどのように身についたのか?

家庭環境にあるのか?学校教育にあるのか?僕自身の個別の事情によるものなのか?

それは良く分かりません。

 

このままではいけないと思い、20代後半からは負け犬根性・奴隷根性を克服するように心がけています。

しかし、三つ子の魂百までということわざがあるように、一度身についた性質を変えるのは非常に困難なものがあります。

具体的には「他人との対立を恐れず、自分の意見をしっかりと言う」ということですが、今でも自分の意見を言った後に、根拠不明の罪悪感を感じることがあります。

罪悪感を感じる度に、人間の心に一度身についた性質とはこんなにも強いのかと思います。

 

ちなみに荘子は「本来の性質を変えるのはとても難しい。変えようとして一度傷つき、変えられなくて二度傷つく。二度も傷つく必要はない」と言っています。

とはいえ、僕にとっての負け犬根性・奴隷根性は僕本来の性質では決してないので、断固として克服しなければならないと思っています。

神輿を射よ!!

吉川英治の『新・平家物語』を読んだことから、僕の中で平清盛の存在が大きくなっています。

『新・平家物語』のハイライトの一つに清盛が神輿を射るシーンがあります。

清盛の義弟、平時忠と叡山がいざこざを起こし、叡山は神輿をかついで都に乗り込んできます。

叡山は時忠の身柄を要求します。

当時の神輿には天皇も跪かなければならいほどの権威がありました。

神輿に対して狼藉を働けば、血ヘドを吐いて倒れると皆が信じていました。

時忠は自分の身を叡山に引き渡し争いを収めてほしいと清盛に言いますが、清盛は「まかせろ、といってあるだろう。いちど、おれに任したものを、じたばた何をわめくか」「時忠やそちを、人柱にたてて、難をのがれようとするほどなら、覚悟のなんのと、いうこともない」と言って、敢然と叡山に立ち向かいます。

神輿を前に立ちはだかった清盛は「喧嘩は両成敗ぞ」と叫び、矢を放ちます。

清盛は自分自身を信じ、誰もが恐れる権威に対して敢然と立ち向かったのです。

神輿を射た後の清盛ですが、血ヘドを吐いて倒れることもありませんでした。

意見の対立など恐れることはない

負け犬根性・奴隷根性というものは『新・平家物語』の神輿のようなものと言えます。

自分の意見を言って他人と対立しても、どうということもないのです。

多少の不利益を被ることはありますが、血ヘドを吐いて倒れることはないでしょう。

何も恐れることはないのです。

 

そもそも平清盛にしろ、鎌倉の英雄、源頼朝にしろ、圧倒的に不利な状況から起ち上がり、自分より強いものと戦っています。

彼らは対立を乗り越えることで、歴史に名を残しました。

平清盛や源頼朝を評価するのであれば、彼らの生き方を自分の生き方の模範とするのもいいと思います。

時と場合は考慮しなければならないですが、相手が誰であれ自分が正しいと信じたことについては、対立を恐れずに行動していいのだと思います。

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