アイツの年齢が気になって仕方ない
2020/05/31
こんにちは。
神奈川県鎌倉市の特定社会保険労務士、北村です。
年齢について他人に尋ねるのは、なかなかデリケートな時代です。
場合によってはハラスメントを受けたと感じる人もいるでしょう。
でも僕には年齢が気になって仕方がない人物がいます。
目次
宮城谷昌光先生の名作『重耳』
誰の年齢が気になるかと言えば、宮城谷昌光先生の小説『重耳』に登場する郭偃という人物です。
重耳(晋の文公)は19年の流浪の果てに晋の君主となり、大国である楚を破った人物で、春秋五覇の一人に数えられます。
重耳について興味がある方は、宮城谷昌光先生の小説をお読みください。
時間がない、本を読むのが面倒と言う人はwikipediaを見てください。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
欲に囚われなくなると、道が見える
郭偃は重耳の師です。
この郭偃という男が実に魅力的なのです。
初めは出世欲に燃えていた郭偃ですが、あまり評判のよくない第二公子、重耳の師に任命されたことにより、出世コースから外れます。
出世コースから外れたとにより、郭格の人格から灰汁のようなものが消え、広がりが生まれます。
家臣からの評判に傷ついた少年時代の重耳にかけた郭偃の言葉に、彼の純粋な優しさが感じられます。
「公子よ。ご自分の名をお考えになったことがありますか。公子のご命名のときに、わたしがお手伝いをいたしました。重の字を選びましたのは、わたしです。申生さまの名もわたしが答申いたしたのですが、いまとなって考えますと、公子の名のほうがふくよかです。重とは、廟に立つ木の人形ですが、ご先祖の福を、その人形が一身に受けるのです。おそらく公子は、ご先祖の加護を、ほかのどなたより、さずかることになりましょう。」
宮城谷昌光 著『重耳(上)』 (講談社文庫)
なんと優しい言葉でしょうか!!
出世欲や権力欲に囚われた人物が重耳の師であれば「悔しかったら学問に励め!!」とか「武芸に励め!!」といった類の言葉を投げつけると思います。
郭偃が出世を諦めたことは、重耳にとっても、郭偃本人にとっても幸いなことだったと思います。
郭偃の年齢が気になって仕方ない
僕が気になっているのは、この郭偃の年齢です。
wikipediaによれば、重耳が生まれたのは紀元前696年、死去したのは紀元前628年です。
696-628=68なので、重耳は68歳で亡くなっています。(重耳は70歳で亡くなったという記述を見た気がするのですが、これは数え年なのでしょうか?歴史に自信がある方、お教えください)
重耳が死去したときに、郭偃はまだ生きています。
となると、郭偃はこのとき一体何歳だったのか?
気になって仕方ありません。
郭偃は重耳より20歳は年上か?
重耳の師であることから、郭偃は重耳より年上であることが考えられます。
僕は郭偃は重耳よりも少なくとも20歳は年上なのではないかと思っています。
前出の「公子よ。ご自分の名をお考えになったことがありますか。」のセリフから、郭偃は重耳、さらに重耳の兄である申生の命名に関わったことが分かります。
つまり、申生や重耳が生まれたときには、郭偃は晋の君主または太子からの諮問にあずかる立場にあったわけです。
重耳の名前について諮問をうけたときに、郭偃が20歳未満ということはちょっと考えにくい。
25歳から30歳くらいだったのではないかと僕は想像しています。
よほど優秀であれば、10代であっても君主の諮問を受けることがあるかもしれませんが、当初の郭偃からはそこまでの凄みは感じられません。
重耳が生まれたときに、郭偃が10代の可能性は少ないように思えます。
とっても長生き
重耳は68歳で亡くなりましたが、郭偃が重耳より20歳年上だとすると、このとき88歳。
25歳年上だと93歳
30歳年上だと98歳。
う~ん・・・、紀元前ですからね。
郭偃が健康だったとしても、98歳まで生きられるでしょうか。
20歳から30歳年上というところが、妥当な線のように思えます。
一つの名しかない僕たち
郭偃の年齢についてあれこれと創造するのは僕くらいかもしれませんが、それだけ郭偃というキャラクターが魅力的なのです。
最後に、大国である楚との戦いに赴く重耳に向けた郭偃の言葉を紹介します。
宮城谷昌光先生の小説は名言の宝庫ですが、この会話はその中でも屈指のものだと思います。
「なにも要りません。君が偉業をなせば、わたしにはおのずと名誉があたえられます」
「どんな名誉か」
「君の師であった、という名誉です」
「郭偃は昔からわしの師であった。そのことは、いまさら彰かにせずとも、たれもが知っておろう」
「いいえ。名誉は人からさずかるものと、天からさずかるものとがあります。師は師でも、ちがいます。そのことは君にもいえます。重耳という名はおなじでも、人から名づけられたものと天から名づけられたものとがあるということです。まだ君には一つの名しかありません」
「そうか。この戦いは、あらたな名を天にねだりにゆくようなものだな」
宮城谷昌光 著『重耳(下)』 (講談社文庫)
この会話からは、大きな使命に立ち向かう重耳を激励する気持ちが感じられます。
いくつになっても郭偃は重耳の師なんですね。
本の中にも師は存在する
さてさて、僕みたいな凡人でも、もう一つの名をさずるかるときが来るのでしょうか?
・・・どうもそんなときは来ないように感じます。
なんのために生きているかもよく分からないですしね。
僕にも郭偃のような師がいたら違ったのかもしれません・・・とちょっとやさぐれてみましたが、現実に教えを乞うべき師がいないことを嘆くことはないと最近は思うようになりました。
現実の世界に郭偃はいませんが、本の中には郭偃はいます。
この先の人生でなにか困難に遭ったときは、『重耳』を読み返し、本の中の郭偃から教えを授かりたいと思います。