随筆・プライベート

感情至上主義者への対処法

こんにちは。

神奈川県鎌倉市の特定社会保険労務士・北村です。

 

ここのところショーペンハウアーの『幸福について』という本を読んでいます。

この本でショーペンハウアーは、「人間自身の幸福のためには、他人の思惑に価値を置くべきではない」と言っています。

この考えについては僕も大賛成です。

 

僕は「みんなと仲良くましょう」「人の和を乱してはいけない」「教師や上司、目上の人の言うことには従いなさい」と言われて育ってきました。

ところが、どうにも生きづらさを感じていました。

これはちょっと考えれば当たり前のことで、自分の意志よりも他人の意志を優先しているのだから生きづらさを感じるのは当然です。

 

だいたい「みんなと仲良くましょう」「人の和を乱してはいけない」「教師や上司、目上の人の言うことには従いなさい」といった考え方が美徳とされるのは、支配される側がそうしてくれたほうが統治する側にとって都合がいいからです。

 

30歳を過ぎたくらいで荘子を読んで、「名声や財産、権力など自分の外側にあることよりも、自分の内面を見つめなさい」という考えに出会って衝撃を受けました。

荘子以外にも、他人よりも自分の内面を重視すべきという考えを持った思想家や哲学者がいます。

人間はもっと自由に生きていいのだと思います。

 

古人も僕たちと同様に生きた方について考えたはずであり、彼らがたどり着いた考えを本を通してしることができるのは幸せなことです。

目次

人間の感情に価値はない

人間生きていると、怒ったり、悲しんだり、そして喜んだり、いろいろな感情を感じながら生きています。

僕は最近、感情を感じることに価値はないのではないかと考えています。

 

そう思ったきっかけは、妻との日常のやり取りからです。

うちの妻はなかなか優秀なのですが、ごくまれに僕を子ども扱いすることがあります。

「ハンカチ持った?」「携帯持った?」「〇〇さんに挨拶してね」・・・、こういった感じです。

僕はけっこう感情的なタイプなので、そうした態度を取られるとついカッとなってしまします。

時には「なんだその言い方は!!」と言ってしまい喧嘩になることがあります。

 

これは良くないと思い、どうすれば感情を抑えることができるのかを考えてみました。

そして行き着いたのは、感情に価値はないという考え方です。

 

怒りを感じてもその感情に価値はないと思えば、それを表現する必要もありません。

このように考えられるようになって、多少気が長くなったような気がします。

意志の伝達に感情を込める必要はない

怒りを感じる出来事があっても、それを無理やり抑えて、黙って耐えろという意味ではありません。

もし他人が自分に対して不利益になることを行ったら、「それは止めてほしい」としっかり相手に伝えるべきです。

ただ、そこに感情を込める必要はないということです。

 

人間関係はフェアであるべきだと僕は思います。

なにか不利益が発生したとしても、その埋め合わせ以上のことを相手に求めるべきではないというのが僕の考えです。

先ほどのうちの妻の話を例にすると、「俺を子ども扱いしないでくれ」と伝えることはOKです。

しかし、自分か感じた怒りの感情のままに怒鳴ったり、謝罪を要求するのは、やりすぎです。

感情に価値はないので、それを贖う必要はないのです。

感情にもの凄い価値を置く人々

ところが世間には感情に価値を置く人々がたくさんいます。

みなさんは「気持ちがこもっていない」と他人から言われたことはありませんか?

 

他人から「気持ちがこもっていない」と言われるのは多くの場合、こちらが相手に対して謝罪をする場面だと思います。

こちらが謝罪をしているのに、「気持ちがこもっていない」と言って相手が一向に謝罪を受け入れない場面です。

僕も両親や学校の教師、会社の上司に「気持ちがこもっていない」と言われた経験があります。

 

今になって考えると「貴方の言う気持ちはどれだけの価値があるのか?」と聞いてみたいです。

感情至上主義者からは静かに離れよう

気持ちの問題を持ち出して難癖をつける人間に出会ったら、静かに離れることが一番だと思います。

なぜなら気持ちは無限だからです。

要は相手のさじ加減次第で、永久に貴方を振り回すこともできます。

そんな連中の相手をするのは時間の無駄です。

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