随筆・プライベート

今年も8月6日、そして8月9日が来ました。

こんにちは。

神奈川県鎌倉市の特定社会保険労務士・北村です。

今年も8月になりました。

早いですね。

今年は梅雨が長かったり、新型コロナウイルス感染症の流行もあったりで、季節感が狂ってしまっています。

目次

黙祷

8月6日、8月9日は日本にとっては特別な意味を持つ日です。

うちの妻は子供の頃から8月6日8時15分、8月9日11時2分に黙祷を捧げているそうです。

妻と一緒に生活するようになってから、私も黙祷を捧げるようになりました。

圧倒的な暴力にさらされたことがない幸運

私は幸いなことに、戦争を体験したことがありません。

戦争だけでなく、大きな自然災害や犯罪に巻き込まれることなく、今まで生きてきました。

自分の力ではどうしようもない圧倒的な暴力にさらされたことがないことは、非常な幸運だと思います。

地球上には今もたくさんの暴力が存在します。

地球上の全ての人々が暴力から解放されるときが一刻も早く来るように、微力ながら何らかの行動をしたいものです。

みんなで仲良くする必要はない⇒仲良くできないからといって攻撃してはいけない

私はブログでもセミナーでも「みんなで仲良くする必要はない」と言っています。

誤解されることがあるので、ここで言っておきますが「仲良くする必要はない」というのは「仲良くできない人間を攻撃しろ」という意味では決してありません。

「そんな人もいるんだ」と認めて放っておこう意味です。

私にも仲良くできないと思う人がいますが、自分が不利益を受けない限り、その人に対して文句を言おうとは思いません。

私は私、その人はその人、それぞれのやり方で生きていけばいいと思っています。

最近問題になっているSNS上の誹謗中傷についても同じように思います。

グローバルな人材ってなんだ?

企業や学校の広告などで「グローバルな人材を求める」とか「グローバルな人間を育てる」といったキャッチコピーをよく見ます。

そもそも「グローバルな人材」とは一体何なのでしょうか?

英語が話せたらグローバルな人材なのでしょうか?

中国語はどうでしょうか?

英語は話せるけど、コミュニケーションは苦手という人もいます。

そもそもコミュニケーション能力は、人間のたくさんある能力のうちの1つです。

 

要は「グローバルな人間」という言葉はバズワードで確とした意味はなく、時と場合、そして使う人によって意味は変わるのだと思います。

地球の裏側で起こった出来事を自分の身に起きた出来事のように感じられる人

8月9日の夜にふと、「グローバルな人間」とは、地球の裏側で起こった出来事を自分の身に起きた出来事のように感じられる人なのかもしれないと思いました。

現在のところ日本は平和な国ですが、今も人々が暴力にさらされている国や地域があります。

 

仕方のないことかもしれませんが、離れた場所で起きた問題を自分の属する社会の問題のように、言い換えれば人類共通の問題として捉えることはなかなか難しいです。

私は自分と家族の生活で精一杯で、他のことまで気を配る余裕はありません。

 

人類の歴史上に「グローバルな人間」はいたのでしょうか?

イエス・キリストや釈迦はどうでしょうか?

もしタイム・マシンがあったら、歴史上の偉人にインタビューしてみたいと思っています。

大切なのはほんの僅かな思いやりと行動

私は「グローバルな人間」でないからいけないとは決して思いません。

ほんの僅かでも他者を思いやることができ、さらに行動することができれば、それは素晴らしいことだと思います。

今回の記事ではさんざん「グローバル」という言葉が出てきたので、それを使ってまとめるとシンク・グローバリー アクト・ローカリ― といったところでしょうか。

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