何のために勉強するのか?
「何のために勉強するのか?」という問いがありますが、勉強することによって、物事にいろいろな解釈を加える、あるいは何の解釈も加えないことができるようになり、一見困難と思える出来事にも立ち向かう気力が生まれることもあると最近思います。
さて、ここのところ塩野七生先生の『ローマ人の物語』を再び読んでいます。
文庫版の第18巻まで来ました。
この巻で塩野先生は、第二代ローマ皇帝ティベリウスについて次のように述べています。
人間はいつの世でも、欠点を改善しようとさえもしない存在であることに変わりはないのだ。ただし前二者(※カエサルとアウグストゥス)は、人間とはそういうものだと理解して、それ以上は求めなかっただけであった。
これは他人に対する考え方ですが、僕は自分自身が「欠点を改善しようとさえもしない存在」であると認めてから人生がすごく楽になったような気がします。
まあ、僕はローマ皇帝なんて責任ある立場ではないのでコツコツやろうと思います。
神奈川県鎌倉市の特定社会保険労務士の北村でした。